Hofu
抱負なんてそんな大きな言葉を使わないでほしい。なんか尻込みしちゃうから。目標なんてそんな角ばった言葉も気が進まない。小心者なので。ただ他の言葉が思い浮かばないから、ローマ字にしました。可愛くないですか?Hofu。Tofuと一文字違い、急にまろくなりましたね。Hofuというほどでもないけど、なんとなく去年と変わりたいことを書きました。
・手帳を使い切る。
これはマジ。信じられないかもしれないけど、私は人生で手帳を使い切ったことがありません。そもそも大学生になってから使い始めたので4冊買ったことになるけど、大体毎年6月くらいで書くのがめんどくさくなって部屋の中で行方不明になる。そもそも頭に留めておける程の予定しかないからと慢心して手帳に書き込まないんだけど、実際は全然留まっていません。休講の日を一週間間違えて普通に授業やってる日に行かなかったり、レポートの提出日を間違えて覚えていて単位落としたりしたことが2,3回あります。手帳見て来月の見通しとかつけるような人間になりたい。そろそろ感覚で生きるのやめよう、そのためにまず可愛い手帳2019買います。
・日記をつける。
日記という字面も堅苦しくてなんか、緊張しますね。別にノートに書くわけでなくても、ブログだったりアイフォンのメモだったり、生活の出来事を記録したいなと思った。ボイスメモとかでもいいかな。これは単純に、過去の自分が考えていることを思い返すのが楽しいからです。私はナルシストでもないけど自分の文章が好きなので、読み返して「わかる~!」と思えるような自分の文を記録したい。未来の自分への投資として書きたいなと思う。別に途切れてもいいので、ハンターハンターぐらいのペースでやっていきたい。
・人との付き合い方を見直す。
重いテーマですが、必要なことです。本当に私は人間付き合いが雑なんだな、と去年の夏くらいに気づいた。おせ~よ。私はもともと出不精なのもあって、色々遊びとかなんとか誘われて気が乗ったらいくか…というマイペースぶりなのですが、これ本当によくないですね。好きな友達とやりたいことがあったら自分から誘うようにします。関係を続けていきたい人とは積極的に連絡取るようにしよう。わ~~~今まで声かけてくれてた友達のみなさんほんとうにありがとう…という気持ちも伝えていきたいです。
・親を大事にする。
これはほんまにも~~~めちゃくちゃ大事、めちゃくちゃ大事です。私の両親はもう孫がいてもおかしくない年齢で、人間なので当たり前ですが日に日に老いています。やっぱり悲しくもあるんですが、自分がしっかりしなきゃなーという気持ちになる。あ~もう甘えてられないんだな、ということを親といるときも離れているときも自覚できるようになりたい。
・写真を撮る。
私本当の本当に写真を撮らなくて、普段の生活でも旅行したときでさえも写真を撮らないんですよ。特に自分の写真が全然無い。友達とかサークルの部員とか私が映ってる写真送ってくれたりもするんですけど、スマホに保存もしてないので私の映像は皆様とのトーク履歴にだけ存在しています。まずはそこの整理から始めよう。
・あんまり目の前のことに一生懸命にならない。
これも大事なんですよ~。一生懸命っていいことな気がするけど、私の一生懸命は悪いタイプの一生懸命です。何か目的があってそれを達成するため一生懸命になるのは立派だけど、私は何していいかわかんないからとりあえず目の前のことに集中しよ!という理由なので、結局最後まで何が何だっけ?となって軸ブレブレのまま疲れ果てるパターンのやつなんですよ。一歩引いて、何に力を入れて何の力を抜く計算するのも必要だよね、という思いです。
・言葉に敏感になる。
なんか2年くらい前まではもっと言葉に敏感だった気がする。言葉というか文章かな?どういう単語を選ぶのか、どういう構成で文を組み立てていくのか、とか、自分なりにこだわってた気がする。し、そういう自分なりのこだわりが発揮される場所として高校の頃は現代文なり英文訳なりが好きだったしレポートも楽しみながら書けてたときもあったのですが。最近全然そんな気持ちにならね~~~~、何もかもがやっつけ仕事だよね。駄目だよね。多分インプットが足りてないんだろうな~、忙しさにかこつけないで良し悪しに関わらず文章に触れるようにしたいな。
・生きる意味を考えすぎない。
これも大事ですね。私はめちゃくちゃ自分の生きる意味を考えてしまいます。どこで何をしてようが、なんで自分は生きなきゃいけないんだろう…と考えてしまいます。もう日課の域だよね。でもいくら考えてもおそらく生きてる意味とかはなくて身体が生きようとしてるから生きてる以上でも以下でもないんだよな。という答えが出ててもやっぱ自分に都合の良い理由が欲しいんだよね~~~!人間!! とにかくあんまり考えないようにしたい、どうあれ生きることが大事なので。
以上わたしのHofuでした。すごく関係のない話ですが、滝沢カレンのインスタ投稿文が日本芸能界史上類をみない哲学性でとても素敵なのでみなさんご覧になってください。そしてみんなそこそこいい感じの2019年おくろーね。おやすみ。
潜水
人生いまが一番どうしたらいいかわからない。
もう自分の物語の続きが楽しみじゃなくなっちゃった。惰性でページをめくる気力もないよ。そういうとき、ただ窓の外を眺め続ける日々は甘えだって怒られるんだろうか?
頑張って我慢して、誰にも感謝されなくて、我慢するのが当たり前になったとして、それでも努力し続けなければいけないんだろうか?
湯船に潜って目を開けたら、別の世界になりますように!!
現象
めちゃめちゃな卒業論文を書いてる。自分の人生もこんな感じで騙し騙しなんだろうな〜〜と思いながら、お飾りの言葉で文字数を埋めています。3年前研究室に入ったときはモチベーションあんなに高かったのに、いまや全然研究室に行く気がしない。やっぱり何事も始めが一番盛り上がるんだろうな〜〜 いつまでもキラキラな気持ちでいたいのにな。
ここ最近で色んなことがあったので備忘録として世界に発信する。
先月の末に母方の祖父が亡くなった。
朝、知らせを最初に聞いたとき、ショックはショックだったけど、それよりも先にこれからの予定を頭が勝手に組み立てていた。ひどく冷静に。週末に卒論の報告会が迫っていて、新幹線に乗ってる間もずっと教授に送る欠席メールの文面を考えていた。自分でも薄情かなと思ったけど、人間案外、そういうものかもしれない。
祖父の家に着いた頃にはもう大分夜も遅くなっていて、仏間では親戚たちがほどほどに酔っ払いながら会食していた。どことなく朗らかな雰囲気に拍子が抜けたけど、部屋の奥では確かに祖父が死んでいた。よく死に顔を「眠ってるみたい」って表現するけど、本当にそれだった。白い布をめくると、少し唇が紫がかっているだけで本当に眠っているみたいだ。声をかけたら今にも瞼を開けそうな体が、もう二度と動かないなんて信じられなかった。
それからは怒涛の日々で、あまり細かいことを覚えてない。通夜から葬式まで、作法が何もわかっていない私でも駆り出されるほどてんてこまいの数日間だった。名前もわからない弔問客たちの会話を聞いて、祖父には私の知らない人生があったのだな、と今更切なくなったのを覚えている。
ただ、火葬場で骨になった祖父を見たときは流石にショックを受けた。私は人が死ぬときの、この瞬間が一番怖い。とどめのように、もう触れ合えないんだと実感してしまう。一番最初にその姿を目にした祖母が声をあげて泣き崩れているのを見るのもつらかったし、私は何もできなかった。
葬儀の間は親族の手前もあり涙を流すことはなかったが、帰りの新幹線に乗った途端堰が切れてしまった。波のように後悔が押し寄せた。祖父が亡くなる一週間ほど前に、祖父の家に電話をかけた。祖母が電話に出て、いつもなら話し終わると祖父に代わるのだけれど、その日に限って祖父が出ることはなかった。あれ?と思ったけれど、実は近々帰省する予定があったので、まあすぐ会えるだろうと思い電話を切った。今思うと、もうあのとき電話に出るのが難しいほど苦しんでいたんだろう。そうして一週間後、祖父は検査のために入院し、そのまま帰らぬ人となった。誰にも気づかれず、朝方の病院のベッドの上で息を引き取ったらしい。祖父の気持ちを思うと、本当にやるせなかった。
本人に伝えたことはないけれど、私は祖父のことがとても好きだった。私のことを好いていてくれたから。子どものころから内気で人見知りで周りに馴染めなかった私を褒めてくれたから。大学に受かったときも会社から内定をもらったときも、私より盛り上がってるんじゃないかというぐらい、喜んでくれた。ちょっとわがままなところもあるけど、はっきりとものを言ってくれるその人となりが好きだった。好きだったのにその思いや感謝を伝えることができないまま、祖父は亡くなってしまった。夏頃、祖父の家に泊まったときにもうこの人は長くないんじゃないか、と薄々感づいていたのに、どうしてそのときに思いを伝えなかったんだろう。そもそもなんで、普段から口にしなかったんだろう。また会えるだろうという根拠のない思い込みのせいで、最後の会話も思い出せない。
今頃になって祖父ともう会えないんだという実感と、自分がしてあげられなかったことの後悔が押し寄せてきて新幹線の中で泣きじゃくっていた。
その日の夜は一人で過ごせる気がしなくて、友達に付き合ってもらった。優しい友達がいてくれて本当に良かったと思う。夕飯にナポリタンを食べて、朝までカラオケボックスにいて、よし、切り替えてがんばろ!と思ったのも束の間、転がるように何もできなくなった。
祖父が亡くなる少し以前から体調が優れなかったりモチベーションが上がらなかったりでカウンセリングを受けながら何とか生活していたけど、それが完全にダメになった。祖父の死を言い訳にするわけではないけれど、自分の中で、自分でもわからないような変化があったんだと思う。人に会いたくなくて外に出られなくなったり、文脈のあるものに触れたくなくて見たことのある動画を垂れ流したりしていた。だんだん食欲もなくなって眠れなくなった。今まで精神が落ち込むことはあったけどこんなに身体が言うことを聞かないのは初めてで、もしかしてこのまま私も死んでしまうかもと思ったりしていた。
そんな日々がつい最近まで続いていて、こんなんでもなんとかラインとかメールとかは生かしていたおかげで人と連絡を取りつつ生活をリハビリしている。心が沈んでいるとき、生活を立て直すのに一番手っ取り早いのは人と会う予定を立てることだと思う。もちろんそこまでいくのにかなり時間がかかることもあるだろうけど、そのことは覚えていたい。し、周りの人がそうなってしまったときに私にいつでも連絡してきてほしい。体はまだ不調で、昼飯はウィーダーインゼリーと野菜ジュースを30分かけて飲み込んだりしているし、夜はなかなか眠れない。やっと眠れたと思ったら、2時間後に動悸を感じて起きたりしている。こんな状態でも、ようやく卒論と向き合い始めたし、こんな長いブログを書けたりしているし、気持ち的にはわずかな角度だが上向き始めている。
最後になるが、祖父の死や自分の不調を通してスッと頭をよぎった言葉がある。宮沢賢治の詩の、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」というフレーズだ。詩集『春と修羅』の序章として掲載されている。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチ
最初にこの詩を読んだとき、よくわからないけど情景が透き通っていて綺麗な詩だと感じた。でも今は、なんとなくその意味がわかる気がする。わたしたち人間の命はあくまでも現象で、電球が光り続けるように身体はしゃかりきに働いている。心がいくらもう光っていたくないよって思っても、身体は頑張って生きて光ろうとしてるんだと思う。街中のネオンか海の上の漁火か、それとも誰かの部屋の電球なのかはわからないけど、燈ろうとし続けてること自体がきっとすごいんだよな。わたしも、とりとめのない現象だとしても現象でいたいよ。
長文読んでくれてありがとう。
みんな、おだやかに眠れますように。
田舎
シシシシン•ゴジラのススメ
何者
火村英生の推理という受難
つい昨日(一昨日?)、日テレで日曜22:30〜放送されていた 臨床犯罪学者火村英生の推理 が最終回を迎えましたね。いやはや、初回が放送されてから約二ヶ月、月日が経つのは早いね!私ほとんどの週リアタイしてた気がする。せっかく友だちとご飯に行ってたのに「ごめん観たいドラマあるわ!」って言って早々に帰宅した週もありました。全て火村のためです。ここまでくるともはや義務ですね。全10回だから合計約10時間?火村に費やしたんだな〜〜〜〜そのうえで言います、
とんでもねえクソドラマだった!!😆😆💫
2016年、始まったばかりですが(いうてもう三ヶ月経ちましたが)、これは今年を代表するクソドラマになるんじゃないでしょうか...
何がクソってまず、ドラマ全体の軸がブレブレすぎる。結局言いたいことは何なの?大抵の謎解き系ドラマは主なテーマである「大きな物語」があって、各話の事件である「小さな物語」を解決することによって「大きな物語」が進行する筋書きだと思うんですが、火村は「大きな物語」が何なのかがわかりづらい!!ラスト2話くらいではっきりするんかなと思ったけど最終話が終わってもなんだかはっきりしなかった。「怪物と戦う者は己が怪物にならないように注意せよ」っていうニーチェの有名なアレを踏まえて「犯罪を分析する側の火村が犯罪に惹かれる苦悩」を描いてるのかと思いきや、火村はサイコパスなのか?という描写がされたり訳の分からん宗教団体が登場したり、畳めない風呂敷なら最初から広げるな!!っていう感じのシナリオ.... まとまりがなさすぎる
演出がチープなのもクソの一因。なんか...なんかこう...もっと頑張れただろ?!?みたいな演出が多々ありました。まず、推理のシーンに字が浮かんでるやつ。STといい掟上といい、日テレ最近そういうのハマってるよな!見るたびにSHERLOCKのパクリか?!思ってしまう。あと焼身のシーンとか爆発のシーンとか10年前で時間が止まってるみたいなあからさまなCGで笑ってしまった。いやそこはもうちょっと頑張れるやろ!予算そんな少ないのかよ!と心配になりました。
そんで一番問題なのがさ〜〜〜〜、窪田正孝くん演じるアリスこと有栖川有栖が別にいてもいなくても問題ないキャラだったっていうことだよ!!!!!これは本当にマズイ問題ですよ。「火村とアリスのバディに注目!」みたいなスタンスで宣伝して、斎藤工と窪田くんを散々イチャイチャさせておいて、んで本編ではアリスは物語の蚊帳の外ですよ。酷だよ。だってマジでアリスちゃん別にいなくても話進むもん。ただ火村の後ろ金魚の糞みたいにくっつき回ってただけだもん。7話あたりからアリスちゃんの存在感が消え始めたのをさすがにマズイと思ったのか、最終回で突如挽回を図るようにバディアピールしてきたのは呆気にとられたし不覚にもちょっと萌えたけどね。ほんとちょっとね!不覚にもね!!でも突然「アリスの身に何かあったら俺はどうなっていたかわからない」とかBLみたいな台詞言われても そこまでお前アリスに執着してたか?!今までの9話でそんな素振り見せたか?! って感じでした。日テレのね、男二人にそれっぽいこと言わせとけば本編グダッてても腐女子食いつくやろ〜😋みたいな姿勢が気にくわねえ!!日テレの男バディは中身が詰まってると思って齧ったけど実際スカスカの空洞だったチョコレート並みに肩透かしだよ。でもヒガンバナの堀北と檀れいの女バディは頑張ってたと思う。うん。
こんな火村でも、いいところはありました。何より窪田アリスの可愛さ!!窪田正孝のプロモーションビデオだと思えばまあ10時間費やしたのも全然痛くはないかな。中の人が窪田くんだからか、それともアリスちゃんがそういうキャラ造形なのかはわかんないけど、明るく気丈に振舞ってても根は暗そうなオーラが滲み出ててたまりませんね、窪田アリス!あと斎藤工がオモロいのもよかった。斎藤工なんか面白いんですよね、なんか知らんけど。タイトル忘れたけど竹内結子のドラマで盛りすぎなキャラやってプリキュアのダンス踊ってるタクミ面白かった。山本美月が可愛かったのもいいね。それに原作が売れてる本格ミステリだけあって、トリック自体は面白かった。紙幣使ったトリックが好きだったな、なるほど〜と思った。ほんとそれくらいですね〜。
火村、視聴率いいのかな...。もしこれでDVDの売れ行きよかったらそれは斎藤工と窪田くんの実力ですね、完全に。最終回、風呂敷が畳めなさすぎてかえってオモロかったな...。最終回があまりにも尻切れとんぼすぎて脚本が アカン!この終わり方だと苦情くる!火アリのシーン増やして誤魔化そ! とかなったんでしょうね...。火村とアリスのバディ感を強調するために無理やりホームズとワトソンに結びつけて、モリアーティの最期を知らない教養のないキャラにされた火村が可哀想だった。最終回の火アリは本当にpixivだったな... 日テレいつの間にpixivに買収されたん?思いました。
こんなにグダグダ文句垂れておきながら10話きっかり観ただけあって火村に愛着はあるよ。でも同じ10時間なら斎藤工と窪田正孝が猫の世話しながら時折山本美月だったり夏木マリが顔を出すみたいな映像見てた方がまだ心が満たされたと思うよ。
アナザーストーリー(?)がhuluで配信されてるらしいけど私はhuluに加入してないので観れないし火村のために加入するつもりはないです。もし火村が映画化!!とかなってもぜ〜〜〜〜〜〜〜ったい見に行きません。火村に払う金は1円もねえ。どんなにクソな終わり方であろうと私の火村は昨日で完結しました。このブログを書いたことで私の火村への熱い気持ちも供養されることでしょう。読んでくれてありがとう。おやすみ。