現象

めちゃめちゃな卒業論文を書いてる。自分の人生もこんな感じで騙し騙しなんだろうな〜〜と思いながら、お飾りの言葉で文字数を埋めています。3年前研究室に入ったときはモチベーションあんなに高かったのに、いまや全然研究室に行く気がしない。やっぱり何事も始めが一番盛り上がるんだろうな〜〜 いつまでもキラキラな気持ちでいたいのにな。

 

ここ最近で色んなことがあったので備忘録として世界に発信する。

 

先月の末に母方の祖父が亡くなった。

朝、知らせを最初に聞いたとき、ショックはショックだったけど、それよりも先にこれからの予定を頭が勝手に組み立てていた。ひどく冷静に。週末に卒論の報告会が迫っていて、新幹線に乗ってる間もずっと教授に送る欠席メールの文面を考えていた。自分でも薄情かなと思ったけど、人間案外、そういうものかもしれない。

祖父の家に着いた頃にはもう大分夜も遅くなっていて、仏間では親戚たちがほどほどに酔っ払いながら会食していた。どことなく朗らかな雰囲気に拍子が抜けたけど、部屋の奥では確かに祖父が死んでいた。よく死に顔を「眠ってるみたい」って表現するけど、本当にそれだった。白い布をめくると、少し唇が紫がかっているだけで本当に眠っているみたいだ。声をかけたら今にも瞼を開けそうな体が、もう二度と動かないなんて信じられなかった。

それからは怒涛の日々で、あまり細かいことを覚えてない。通夜から葬式まで、作法が何もわかっていない私でも駆り出されるほどてんてこまいの数日間だった。名前もわからない弔問客たちの会話を聞いて、祖父には私の知らない人生があったのだな、と今更切なくなったのを覚えている。

ただ、火葬場で骨になった祖父を見たときは流石にショックを受けた。私は人が死ぬときの、この瞬間が一番怖い。とどめのように、もう触れ合えないんだと実感してしまう。一番最初にその姿を目にした祖母が声をあげて泣き崩れているのを見るのもつらかったし、私は何もできなかった。

葬儀の間は親族の手前もあり涙を流すことはなかったが、帰りの新幹線に乗った途端堰が切れてしまった。波のように後悔が押し寄せた。祖父が亡くなる一週間ほど前に、祖父の家に電話をかけた。祖母が電話に出て、いつもなら話し終わると祖父に代わるのだけれど、その日に限って祖父が出ることはなかった。あれ?と思ったけれど、実は近々帰省する予定があったので、まあすぐ会えるだろうと思い電話を切った。今思うと、もうあのとき電話に出るのが難しいほど苦しんでいたんだろう。そうして一週間後、祖父は検査のために入院し、そのまま帰らぬ人となった。誰にも気づかれず、朝方の病院のベッドの上で息を引き取ったらしい。祖父の気持ちを思うと、本当にやるせなかった。

本人に伝えたことはないけれど、私は祖父のことがとても好きだった。私のことを好いていてくれたから。子どものころから内気で人見知りで周りに馴染めなかった私を褒めてくれたから。大学に受かったときも会社から内定をもらったときも、私より盛り上がってるんじゃないかというぐらい、喜んでくれた。ちょっとわがままなところもあるけど、はっきりとものを言ってくれるその人となりが好きだった。好きだったのにその思いや感謝を伝えることができないまま、祖父は亡くなってしまった。夏頃、祖父の家に泊まったときにもうこの人は長くないんじゃないか、と薄々感づいていたのに、どうしてそのときに思いを伝えなかったんだろう。そもそもなんで、普段から口にしなかったんだろう。また会えるだろうという根拠のない思い込みのせいで、最後の会話も思い出せない。

今頃になって祖父ともう会えないんだという実感と、自分がしてあげられなかったことの後悔が押し寄せてきて新幹線の中で泣きじゃくっていた。

その日の夜は一人で過ごせる気がしなくて、友達に付き合ってもらった。優しい友達がいてくれて本当に良かったと思う。夕飯にナポリタンを食べて、朝までカラオケボックスにいて、よし、切り替えてがんばろ!と思ったのも束の間、転がるように何もできなくなった。

祖父が亡くなる少し以前から体調が優れなかったりモチベーションが上がらなかったりでカウンセリングを受けながら何とか生活していたけど、それが完全にダメになった。祖父の死を言い訳にするわけではないけれど、自分の中で、自分でもわからないような変化があったんだと思う。人に会いたくなくて外に出られなくなったり、文脈のあるものに触れたくなくて見たことのある動画を垂れ流したりしていた。だんだん食欲もなくなって眠れなくなった。今まで精神が落ち込むことはあったけどこんなに身体が言うことを聞かないのは初めてで、もしかしてこのまま私も死んでしまうかもと思ったりしていた。

そんな日々がつい最近まで続いていて、こんなんでもなんとかラインとかメールとかは生かしていたおかげで人と連絡を取りつつ生活をリハビリしている。心が沈んでいるとき、生活を立て直すのに一番手っ取り早いのは人と会う予定を立てることだと思う。もちろんそこまでいくのにかなり時間がかかることもあるだろうけど、そのことは覚えていたい。し、周りの人がそうなってしまったときに私にいつでも連絡してきてほしい。体はまだ不調で、昼飯はウィーダーインゼリーと野菜ジュースを30分かけて飲み込んだりしているし、夜はなかなか眠れない。やっと眠れたと思ったら、2時間後に動悸を感じて起きたりしている。こんな状態でも、ようやく卒論と向き合い始めたし、こんな長いブログを書けたりしているし、気持ち的にはわずかな角度だが上向き始めている。

最後になるが、祖父の死や自分の不調を通してスッと頭をよぎった言葉がある。宮沢賢治の詩の、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」というフレーズだ。詩集『春と修羅』の序章として掲載されている。

わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしょに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と鉱質インクをつらね

(すべてわたくしと明滅し

みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつゞけられた

かげとひかりのひとくさりづつ

そのとほりの心象スケツチ

 

最初にこの詩を読んだとき、よくわからないけど情景が透き通っていて綺麗な詩だと感じた。でも今は、なんとなくその意味がわかる気がする。わたしたち人間の命はあくまでも現象で、電球が光り続けるように身体はしゃかりきに働いている。心がいくらもう光っていたくないよって思っても、身体は頑張って生きて光ろうとしてるんだと思う。街中のネオンか海の上の漁火か、それとも誰かの部屋の電球なのかはわからないけど、燈ろうとし続けてること自体がきっとすごいんだよな。わたしも、とりとめのない現象だとしても現象でいたいよ。

 

長文読んでくれてありがとう。

みんな、おだやかに眠れますように。